◆スプリンター福島千里選手…
北海道、十勝平野で地平線の彼方に広がっている大地に抱かれ育った福島選手…
帯広南商工陸上部での3年間を指導下吉則監督が福島選手の特徴を見抜いた指導法で、現在に導いたそうです。
体が小さく、細かい走りに上下動がなく推進力だけでまっすぐ走っていたのは今と変わらない走りだという。
◆女子サッカー川澄奈穂美選手…
“世界の親父”の教育法でなでしこジャパンのメンバーとして世界の頂点に輝いた川澄選手…
体育教師の資格を持っている父だが、あえて教員にならず「教えない指導法」を取り入れ娘の才能を育てたそうです。
「大きな怪我や危険な行為だけ注意をして、キックの蹴り方などの“型”を大人が教える必要がないと、見守ったといいます。
そして、自分の感覚で身につけた技術は、現在のプレーにも繋がる川澄選手の財産となっていると言います。
◆体操界のエース内村航平選手…
体操選手だった父母の間に生まれ、体操教室を営む体育館が家という環境下、自然と3歳頃から体操を始め、ご飯の時間も忘れ「トランポリンに夢中!」「ピンクパンサーで遊んで、話しかけにも返事をしない」ほど夢中になったら止まらない、こんな内村選手を見守った家族。
1日中体動かして、トランポリンで遊びながら技を身につけた幼少時代から、より難度の高い技術への挑戦も身近に見守ってきた。
日本のエースとして力を発揮する時、母の声援が航平選手の背中を押しているのでしょう。
◆テニス界の錦織圭選手…
松江に生まれ13歳で親元を離れ、異国に渡る決意を下すご両親の心境は、どんなだったでしょう!
本人の気持ちは不安半分、挑戦したい気持ち半分でしたが、最終的には錦織選手自身が決めたそうです。
母親は「子供を手放せるなんて信じられない」「自分には無理」という周りの声を聞いていたが、錦織選手の決意を、自然に受け入れる事が出来たと振り返っていた。
その勇気が現在の錦織選手を育てたんですね。
松江から世界へ、トップアスリートになって、苦悩、怪我を乗り越え、再び親子で歩き出したロンドン五輪。
◆サッカー清武弘嗣選手…
世界へ羽ばたく清武選手を厳しく見つめる父、目標として追い続ける弟、見守る母。
厳しい父と追う弟がいるそんな家庭で育ち、弟も「僕は兄の姿を見ていて、サッカー選手は短期間でも、あれだけ急成長出来る事が分かった!」といい、背中をいつも見ている。
弟は、ヒロ君は子供の頃から「目標であり」、弘嗣選手本人も「弟はライバル」、やっぱり気になりますと……弟は兄の活躍ぶりを視野にいれながら、自分を奮い立たせている。
清武選手がここ1年で爆発的な飛躍を遂げたのも、そんな父、弟に囲まれ、刺激を受けてきた家族から、与えてもらったエネルギーを糧に、世界との戦いに打って出ようとしている。
◆トランポリン世界1位伊藤正樹選手…
穏やかな表情で「ランキング一位というのを…試合では考えたこともないし、まずは自分の演技をするだけとしか考えていないですね!」と語っていた。
試合の度に必ず見に来てくれていた母。
演技がうまく行かず悔しがっていた時、母親は「自分の演技をしないと結果はついてこないよ!向こうは向こうだから、そんなのは気にせず楽にやりなさい」と母は怒鳴ることなく優しく言ってくれたと言う。
この母の言葉を心に抱き続け、言葉を胸に秘めて演技をし続けている。
競技を始めた4歳から今まで、伊藤選手を支えた母の言葉で、世界ランキング1位に君臨している。
◆競泳北島康介選手…
数多くの実績、名言を残し、多くの人に感動を与えてきた北島選手。
五輪2大会連続2冠、9年間もの間、北島選手の栄光を支え続けるコーチやスタッフの人達がいたからだそうです。
2003年から現在まで、マネージャーとして北島選手に付き添っているのが田中由起氏。
「私が初めて見た試合が(03年の)世界選手権で、いきなり2個の金メダルと2つの世界記録だったんです。
でも当時は水泳界のこともまったく知らなかったから、何をどうすればいいかも分からなかったですね」と田中氏は言っていた。
そのころから海外遠征には必ず同行したが、競技に関してはコーチの平井氏が責任を持ち、マスコミの取材など細かいことは田中氏らマネージメント会社の者が受け持つという分業制だったそうです。
そして、ロンドンの地で皆の挑戦が始まります。
オリンピアンの努力は並大抵の事ではないのは、私も30年近く卓球をスポーツとしてやってきて十分すぎるほど理解できますが、ご家族、コーチ、監督そしてスタッフの方々…
みんなの力が一つになって日本の力になっています。
私達の出来る応援、声援もこの一つの力になることも間違いないでしょう!!
あと数日と迫りました、応援しましょうね(O)