3/27つづくより。。。
よろしければつづきをお読み下さいね。
「結果が全てなんだ!」みたいな、、、一部のビジネスではそうなのかもしれませんが、それを教育、子供の前に持ってくるのはどうなの?と思うことも多々あると(記者)そういう大人に対してお灸をすえるための行為っていう風にとらえられているんじゃないかと。。。
トーナメントでは勝者(優勝者)は一人だけになっちゃうね。後は皆どこかで敗者になる。だけど「体が丈夫になったとか」「柔道を通じて友達ができたとか」「新しい技ができるようになった」など、(卓球や)柔道を経験したことがその子の人生のプラスになれば、「これは全員の勝者だよね!」と。
これはスポーツだけではなく、中学受験なんかでも言えることだと思う。結果にかかわらず、この受験という経験を通して、自らの人生を輝かせる糧みたいなものを得られたんだとすれば「それは笑う者という“笑者になれる人だと思う」
勝敗は必ずつくんだけれども「でもやってよかったよね」っていう経験ができるかどうか、そういう文化・そういう観点みたいなものを周りの大人が子供に伝えてあげることが大事。
世の中は現実的競争だらけ。だからこそ競争という構図の中においても、勝負にとらわれない、相手にとらわれないでありのままの自分であり続けられる強さを身に着けられるよう導いてあげることが、周りの大人の役割であると。
物差しがドンドン変わってしまう時代において、より重要になっていくはずだと思います。スポーツや受験の機会を「勝負を超えた価値をつかむ経験」だととらえ、周りの大人は子供を見守る。
目標に向けて「どう努力したのか」「どう成長したのか」そのための人参として競争があるんであってね。それが目的ではない。。。。と熱く熱く語られていました。
確かに確かに、力が入りすぎてしまうところもありますよね。ともに成長していく!そういう心持も忘れてはいけないと思いました。