”卓球愛ちゃん”を15年見守り、日本の技術で支え続けているお話です。
夜の番組で、メーカーがメダリストを支え続けていた「五輪の舞台裏」
そのドキメントが放送されていました。
ニッポンの技術力はメダルを取る為に、欠かせないという事がよく分かりました。
あるスポーツメーカーの担当者は、卓球福原愛選手と共に15年もの間、
一緒に歩み続けています。
それは、靴やウエアを選手の希望、要望を聞いて改良を続け支えていた。
2000年から福原選手にシューズを提供した。
2004年、高校生になった愛ちゃんをメーカー担当者は訪ねて行き、
練習直後のシューズが足にあたっていたらしい…「どこが痛い?」と尋ねていた。
”愛ちゃんは”「つま先が硬いからダメで、柔らかいのがいい!」
と小さな声で答えていました。
15歳で初めてのアテネ五輪に向けて、この時の担当者は…
”頑張って!!”は皆が言っているので、試合は近づいているが、
少しずれた話をして、緊張を和らげるのが自分の役目と語っていた。
そんな担当者に、愛ちゃんは「ヤンキー兄ちゃん」と甘えていた。
初めての五輪は、15歳でベスト16進出、その活躍ぶりが繰り返しテレビで流れていた。
その後、愛ちゃん効果で、卓球人気が高まり、
メーカーにとってもウエアやシューズが飛ぶ様に売たそうです。
リオ五輪に向け、かわいいハート模様のピンクシューズを持って、
味の素トレーニングセンターを訪ねていました。
この新しい技術を搭載したシューズで愛ちゃんを喜ばせていました(^^)
このシューズは、内側には曲がりやすく、外側には曲がりにくい…
フットワークを良くする機能だという〜そして意見を聞きたいという事です。
2016年マレーシア世界卓球では、そのピンクシューズ試していました。
愛ちゃんの意見は、「履き口、かかとを薄く」と答えていました。
メーカー担当者は、よりかかとにフィットする形に形状と厚みを見なおして作り変えた。
リオ五輪に向けてメーカー統一カラーのブルーで、仕上げた最終モデルが出来上がっていました。
かかとには、愛ちゃん自ら選んだデザインの「Ai」のハート文字刺繍が入っていました。
担当者はオリンピックは選手にとって特別、私達も特別な思いで作ってあげたい!!
特に思う! 4年に1度と言うのは重いと語っていました。
リオ五輪会場では、メダル獲得のシーンを見ていて、
「何か 言葉が出ないが、ホッとしました。嬉しいです」
と選手と同じ思いをかみしめていました。
会場で、福原選手のお母さんにおめでとうの声をかけていました。
お母さんは、子供の目線に合わせてくれるので、友達感覚で話している〜
無くてはならない人だと言っていました。
その獲得したメダルを持って、お母さんに見せてから、担当者の首にメダルを掛けていました。
メダルを手にした担当者は重たい!!と自分の妹の様に喜びをいっぱいにしていた。
メーカーで仕事を始めてから、ほとんどの選手が引退をしたり、代表を外れたりしているが…
愛ちゃんがまだ居るというのは、この担当者にとっても特別な形。
愛ちゃんが現役を終えるまではこの仕事をしていたいと語った。
15年間一緒に歩んできたが、次の目標に向かって二人は共に歩んで行くことでしょう☆彡
因みに、このメーカーでは、バトミントンの奥原選手に寄り添っている担当者もいました。
バトミントンラケットの柄のシナリ具合やシューズの滑りやストップなど、研究を重ねていました。
奥原選手、シューズが滑る床では、怖くて前に踏み込めないと訴えていました。
リオ五輪に向けては、リオの床を手に入れて、スリップ具合をテストです。
担当者 リオ五輪には、大きなバックに予備ラケット数本を持ち込んでいました。
そして、インド選手との準決勝戦では、力の入る応援でした。
中国選手棄権で、銅メダルを手にした奥原選手を見て「やっぱり、グッと来るものがある!」と言っていました。
やはり、奥原選手も愛ちゃんと同じ様に、わがままを聞いてくれたメーカー担当者には、感謝の念で銅メダルを首にかけてあげて一緒に写真撮影をしていました。
メダルを取るという事は、選手一人ではなく、皆一丸になって初めて取れるんですね☆彡