日本女子が初の五輪銀メダルを獲得した時は、伊藤選手はまだ小学校6年生だった。
ロンドン五輪シングルスは現地で観戦していたという。
メダル獲得の団体戦は、帰国してからテレビ観戦をして感動を覚えたそうです。
2020年東京オリンピックでシングルス、団体戦で金メダルを取る事が、
伊藤選手の人生最大の目標になったという。
この目標に向かっている努力が、リオ五輪代表権を手にした原動力に成った様だ。
人生最大目標のためには、リオオリンピックは特別な舞台経験になる。
若い伊藤選手でも、ドイツオープンで史上最年少優勝を飾り、
一気にランキングを上げた後には、身体の不調とも向き合った。
ブルガリア、チェコ、フィリピンとツアー続きで体調を壊し、体が動かなかったという。
こうした壁を乗り越え、15歳のシンデレラガールズが誕生したのは、母親の力が大きかった。
伊藤選手は卓球を始めた幼い頃から、どんな展開に成っても、冷静にプレーを組み立てられる様
技術と対応力を母親と二人三脚で磨いてきた。
それは、幼稚園に入園した頃には1日最低でも4時間、休日は7時間以上も卓球台の前にいた。
幼いころは型にはめず、卓球をする体の感覚を、しっかりと身につける事が母親の考えでした。
母親の練習メニューの工夫と豊富さは…
足の動きを止めて、上半身だけでボールに反応する。
ボールを見ないでラケットの当てる練習。
身体バランス感覚を養う為、左手でもラケットを振らせた。
対戦相手、相手ベンチや観客の思いを想像する癖をつける。
どんな局面でも、自分だけの思考でゲームメークをしない様に。
このような指導を幼い頃からやっていて、今の技術力を手に入れた。
「打ち方が自己流で、ボールが予測出来ない回転をする」
伊藤選手の特徴が、勝利を導いているんだと思います。
自己流の英才教育は、伊藤選手の技術の確かさ、対応力に繋がっているという。
対応力があるから、苦手な戦型は少ない。
どんな局面でも、自分のプレーに、不安を抱かないメンタルの強さがある。
日の丸を背に、初めて味合うリオオリンピック夢の舞台に、伊藤選手の重圧は…
「卓球は楽しい。だから、不安や重圧を感じたことな無いんです」
「福原選手、石川選手が感じたという、オリンピックでしか味わえない重圧がどんなものか、
それを体験するのも楽しみです」とインタビューに答えていました。
母子、二人で掴んだリオオリンピック。
初めてコートに立った重圧と向き合った時、
伊藤選手の新たな才能を見る事に成るのでしょう☆彡