2012年10月04日更新
VICTAS

写真:VICTAS

先日の大型台風の直後、東京錦糸町にある体育館での試合に参戦しました。

大きな体育館でしたが主催者側の手違いで、体育館の4分の3しか使用できず、
隣ではバレーボールが行われてしまいました。
そうそうたるメンバーの顔が沢山見られましたが、なんせ会場が急遽狭くなってしまい、
ボールと周りを見ながらの集中出来ない試合になってしまいました。

しかし、昼休みには「ヤマト卓球・VICTAS」の社長である松下浩二氏の
デモンストレーション・ワンポイントレッスンと抽選会が行われました。
私は1番違いでTシャツを逃してしまいましたが、20名近くがTシャツ、
トレーナーをゲットしていました…濃紺のシャツ…うらやまし〜^^;

ここでお相手をしている人は、松下選手のカット、鉄を持ち上げているように
「重いカット」だと言っていました。
足の筋肉隆々で、華麗なフットワークとボール捌きでした。
一度、カット打ちしてみたいな〜〜なんて、頭をよぎりました。 図々しい〜でしょ(ohtuka)


家に帰ってから「日本初のプロ」と「日本一のカットマン松下選手」の事を
知りたくて調べてみました。


松下浩二選手 1967.8.26(45歳)愛知県豊橋市出身。
カット主戦型の選手でグランプリ大阪所属。
カット主戦型 フォア面・テナジー05,バック面・粒高(フェイントLONNG3超ゴクウス)

現在は卓球用品総合メーカー「ヤマト卓球」の社長。
「VICTAS」でも裏ラバー、揖保高ラバー を造ったそうです。
カット選手はこのラバーで松下選手を目指してみては……


小学3年生のときに、双子の弟の松下雄二氏とともに卓球を始めた。
中学2、3年生と高校のインターハイシングルスで決勝に進出したが、
シングルスの決勝に進むものの連続渋谷選手に敗れた。

その後、明治大学文学部に進学して渋谷選手とチームメイトとなり、
ダブルスのペアを組むようになったそうです。
1987年の世界選手権ニューデリー大会で世界選手権初出場を果たし、
全日本選手権男子ダブルスで初優勝。

1992年バルセロナオリンピック後、日本初のプロ卓球選手となった。
「4月に日本卓球界初のレジスタード・プロプレーヤーとなった後に
レジスタード・プロ制度は廃止され、プロ選手とアマチュア選手の区別は撤廃されている」

プレースタイルは、カット主戦型で、カットで粘り、カットでチャンスを窺いながら、
隙あらば攻撃を仕掛けていた。

中学時代のときは「カットマンなのに攻撃ばかりしてせこい」という野次をあびた
そうでしたが、普通カット主戦型は戦術上あまり弾まないラケットを使ってるが、
松下選手の場合、日ごろのトレーニングとフルスイングによって、
攻撃の際は威力のあるスマッシュ、ドライブを連打するスタイル。

攻撃だけでなく、武器であるカットも非常に回転が重く、元全日本監督の前原正浩氏は
「相手は鉄アレイを持ち上げながらスイングするようなもの」と解説しているほどです。
長期に渡って活躍してきた事により培ってきた経験、その豊富な経験を活かした
巧みな戦術も持ち味で、これらは40歳を過ぎても健在で現在に至っているそうです。


この日も新幹線で上京してこのパフォーマンスを披露してくださいました。
この後、サイン会や写真撮影で囲まれていました。(*^^)v