2012年04月09日更新
綱島を探索して!!
例年の如く「綱島桜祭り」が7日の土曜日に行われていました。 私は、町田ラージ大会で観に行けませんでした。 我が「Kクラブ卓球教室」のある綱島では、東急東横線の綱島駅西口から、なだらかな坂を上がっていくと、「綱島公園」という桜の名所があります。 毎年、桜の時期には、「綱島桜祭り」が行われ、のど自慢大会や、屋台が出て、大変な賑わいになります。 翌日で「綱島桜祭り」は、終わってはいましたが、一人でカメラ片手に、桜を見て、その後、「富士乃湯」でラジウム温泉に浸かり、前日の試合疲れを、癒そうと思い出掛けてみました。 日曜日とあって、桜の下は、足の踏み場が無いほどの、賑わいでした。 そのまま、公園の先まで散策と、歩いていったら、遊歩道はあるが、一人も歩いていない… 竹林や、桃畑があり、そのまま辺りを見回しながら歩いたが、中々、私の想像している道路には出られませんでした。 引き返そうと思っていた所、数件の新しい住宅と一軒のマンションがあり、人が住んでいるようなので、少しホットしました。 すると、偶然出会った犬の散歩中の女性に、尋ねる事が出来ました。 「この先(県道子母口綱島線)道路に出られますか?」と尋ねました。 「このまま真直ぐ行って、左方面に下りれば道路に抜けられます」と聞きまずは一安心しました。 道路に出てビックリしたのは、何と「綱島卓球センター」のまん前の道路でした。 そのまま、「富士乃湯」ののれんをくぐり、あふれる湯に、心も身体もリフレッシュして家に帰りました。 20歳代で、綱島に会社の転勤で勤務していた頃から、40年も経つのに、こんな山道や、地形を初めて知ったなんて……^^; 綱島の歴史を少し調べてみました。 今は綱島駅に近い「イトーヨーカ堂」のある所は、昭和初期以来、多くの温泉旅館で賑わい「綱島温泉町」と呼ばれていた。 綱島駅東口に(現東京園)昭和10年代の東急経営の綱島温泉浴場があった。 当時は「綱島ラジューム温泉」といって日本第3のラジウム温泉で、色はコーラの様に濃い、2度の火災を経て現在の東京園になっている。 当時人気絶頂にあった「三橋美智也氏」が北海道から星雲の志を抱いて上京し、この東京園でボイラーマンをしながら歌の修行に励む時期があり、綱島は忘れられない土地であったそうです。 また、綱島桃の創設者「池谷道太郎氏」が綱島の土壌に最適な桃を発見し「日月桃」と名づけた。 その綱島桃は東京や横浜に近い、地の利と味の良さで、全国にその名が広まり、桃の産地でも有名だった。 しかし、昭和13年に大洪水と軍国主義、穀物作りの奨励、軍需工場の進出と時代の波に押され衰退した。 「桃栄会」「桃雲台」「桃里庵」「桃仙閣」「ピーチゴルフセンター」など桃にちなんだ名前が綱島には多い。 私が散策した、遊歩道が整備された森は「市民の森を守る会」の人達が手入れをし、桃畑を取り戻そうと、毎年毎年、苗木を植えて森を生き返りさせていました。 桃の花の咲く時期には、皆で集まり、踊りを踊ったりする会があるそうです。 卓球ばかりで、わが町の事こんなにも知らないで住んでいたなんて、自分でも驚きました。 桜につられて「わが町の昔と今」を少しは知る事ができました。 皆さんの町にも、驚く歴史があるかも知れませんよ!! |
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